毎月発行される『きたく子ども劇場』の機関紙≪輪≫から、抜粋して載せていきます。


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事務局日記
機関紙《輪》12月号より

ハート「パレード!」「逃走中」ともにお天気にも恵まれ、楽しく終了しました。
 事前の取り組みが全く対照的な2つでしたが、それぞれの面白さがありました。

 「パレード!」は時間とコースを決めただけで、後は自由参加ということで、その時にならなければ何人参加するのかもわからないというおおざっぱなものでしたが、程よい人数で楽しく歩きました。
 ただ歩いているだけなのに知り合ったばかりの子ども達が楽しそうにどんどん仲良くなっていくのが見ていてとても面白かったし、2才の子がぐずりもせずに最後まで歩ききったことにも驚いたし、興味深げに通り過ぎる人や、声をかけてくださる方もいて、なかなか楽しいパレードでした。
 子ども達は途中の公園でも、最終地点の飛鳥山でも遊びました。2時間歩いても疲れを知らない様でした。楽しいってパワーの源ですね。

 「逃走中」は6回の実行委員会を重ねワイワイがやがや、中学生から大人まで意見を積み重ねて当日を迎えました。
 何もないところから作り上げるので、どういうテーマでやるか決まるまでがなかなか大変ですが、テーマが決まりイメージを共有できるようになると後はもう次から次と色々なアイディアが出てきます。中学生・高校生は発想が豊かで、彼らが意見を出してくれると中身が膨らんでいきます。
 今回は3回目で、前回までの反省をいかしてどうしたら逃走者とエキストラが絡むことができるのか考えました。実行委員以外の参加者は、当日20分ぐらいの短い時間でどんなことをやるのかを把握しなくてはならないので大変です。
 過去2回、逃走者はミッションどころではなく、ただただ逃げ回っていたという感じでしたが、今年はちゃんと逃走者がミッションをこなしてエキストラともやりとりでき、双方楽しめたのではないかと思います。公園が広くてたくさんのミッションが同時進行できたのも良かったようです。
 秋の日差しの中、普通に公園に遊びにきている人たちに混じって、幼児から大人まで、それぞれの役になりきって遊んでいるのがなんだかとてもいい景色だなと思いました。
 来年は「エキストラをやりたい」とか、「逃走者を4年生からにして」とかいろいろ声が上がっていますが、さて、来年もやれるのかな?
イヒヒ

 年の最後の月にはいりますね。それだけでなんだか気ぜわしく感じます。
 皆様、体調に気をつけて良い年をお迎えください。お正月は年々寂しくなっている様な気がしますが・・・・・。
-- 事務局日記 - 10:08 - comments(0) - trackbacks(0)
事務局日記
機関紙《輪》11月号より

きたく子ども劇場の40年度がスタートしました。
 「11ぴきのねこ」がちょうど400回記念例会となり、お祝いをしました。
 40年という時間は、発足当時4才の子が44才。早めに子育てしてれば、4才の子のまた子どもが20才ぐらい。まるまる3世代目に入ったくらいの年月なんですね。
 確か「生協」は、イギリスのロッチデールに誕生し、300年ぐらいの歴史の中で全世界に広がっているらしいです。そんなことを思うと、「運動」が本物になるには100年ぐらいかかる、というのが私の持論です。

 「家系図」というものがありますが、だいたい信憑性があるのは3世代ぐらいまでで、4世代前になるとかなりあやしくなってくるらしいです。つまり、4世代以上の歴史になるともう個的なものではなく社会的なことになるんです。「私の歴史」=「人類史」になっちゃうんです。
 きたく子ども劇場の「これからの40年」を考えることは、もう「人類の子どもの文化」を考えることと同じになっちゃうんです。なんだか良く分かんないけど、これはもう凄いことですね。「私の幸せ」「我が子の幸せ」が、世界人類の幸せ、みたいな事になっちゃうわけで、もうこれは「宮沢賢治」もびっくりな、「本当の幸せ」みたいなことなんです。
 「会員」というカテゴリーも、今いる人だけを考えていると内輪な感じになっちゃうけど、「未来の会員」も考えると「未来の会員の親達」が会員にならずにつまみ食い的にきたく子ども劇場に参加していることになるわけで、会員外参加を保障することは、未来の会員の可能性を広げる事につながっていくのだと思うのです。もちろん「会員になることが一番いい」という条件作りは前提ですが・・・。

 さて、40年前にはこの世に存在しなかった人も、しっかり存在していた人も、新しい時代を一緒につくっていきましょう。あくまでも「楽しみ」ながらね・・・。
-- 事務局日記 - 11:18 - comments(0) - trackbacks(0)
事務局日記
 機関紙《輪》10月号より

先日、横澤茂夫氏の講演会が子ども集団部主催でありました。
 講演会の午前中にワークショップをやったのですが、いや〜、楽しかったです。紙コップで「ゆらゆら星人」を作るというものでしたが、夢中になってしまいあっという間に一時間半が過ぎてしまいました。こんな先生に子どもの頃に出会っていたら幸せだったなあと思う時間でした。
 「1人学び」と「集団学び」を繰り返します。「1人学び」は考える時間「集団学び」は一緒にやっている人からヒントをもらう時間。ヒントはもらうけれど、同じものは創らない。先生の言葉かけは「他の人と同じものにしない、自分の表現を主張する、上手くなくていい、失敗してもいい、それぞれであることがいい」これを繰り返しておっしゃいます。だんだん夢中になって先生の話は殆ど聞いていない状態になってしまいました。
 出来上がった作品は本当にそれぞれで、楽しい作品が並びました。他の人が作った作品を必ず良い所を見つけて誉めるということを最後にやります。誉められた方も誉めた方も嬉しくなる瞬間です。「そっか、これでいいんだ」という思いは、安心感とともに次に移れることでもあるなと感じました。
 そんなワークショップを受けた後の講演会も楽しい時間でした。雨の中での荷物運びも何のその、私にとっては豊かな一日でした

 そして、お彼岸の連休には中学校の同窓会に行って来ました。
 還暦ということもあるのか全体の三分の一の75名の参加がありました。私にとっては20年ぶりの同窓会、45年間会ってなかった人もいて、浦島太郎的気分でした。一目見て分かる人もいるのですが、それは極少数。殆どが分からなくて、知っている人に「あの人誰?」と聞きまくっていました。それぞれの顔に月日の流れ(?!)を実感しつつも宴会が始まって話し始めると思い出してきたのですが・・・・中学校の頃の自分がどんな風に周りに見られていたのか、話をしているうちに面映いくすぐったい気分になってしまうこともありました。
 皆若い頃の思い出話に笑ったり、「そんなことがあったの?」と驚いたり45年ぶりの懺悔があったりとにぎやかでした。もう鬼籍に入った人も何人かいました。その場で知った人もいていかに離れて暮らしていたかを思い知らされてしまいました。それでも何だか元気をもらって帰ってきました。
 子どもの頃にかえっておしゃべりが出来る仲間がいるっていうのはやはり嬉しいものですね。まだまだ大丈夫!(何が?)という思いで帰ってきました。

 きたく子ども劇場40周年です。色々な年代の人が集う場になりました。そのことに誇りと喜びを感じます。
 たくさんおしゃべりしたり、あそんだりして楽しい一年にしていきましょう
-- 事務局日記 - 12:58 - comments(0) - trackbacks(0)
事務局日記
 《輪》9月号より

松江市教育委員会は『はだしのゲン』の中に「過激な描写がある」として、市内の小中学校に対して、教師の許可がないと自由に閲覧することができない「閉架措置」を求め、全校が応じていたことが分かった。
 もう少し詳しく書くと「旧日本軍人がアジアの人々の首を切ったり女性への性的な乱暴シーンが小中学生には過激」と判断されたと報じている。みなさんはどうお考えですか?
 実はこの裏には「ネットウヨク」なる右翼グループのメンバーからの「自虐史観だ!反日漫画だ!排除せよ」とのしつこい要望に教育委員会が折れた、というのが真相らしいが、それはさておき。

 「過激な描写」と聞くと、きたく子ども劇場の例会でも思い出される作品がある。
 昨年の「ナシャ・クラサ」文学座(大戦中のポーランドで起きたユダヤ人虐殺が生々しく描かれていた)、「弟の戦争」うりんこ(湾岸戦争の少年兵の戦場のリアルを、耳をつんざく音と視覚で神経に障る表現で迫った)、「廻民わたみ」乞局(下水道に捨てられた都民が群れて壊れていく様を異臭が匂うような生々しさで表現し、後味の悪さが天下一品だった)。このまえの「罪と罰」うりんこでも「いかがなものか」という声もある。

 演劇を「娯楽」とか「教育伝達手段」ととらえるなら「過剰なものはいらない」となるかもしれない(この役割を否定する気はない)。しかし演劇が「明日を生きるための材料(=アートと呼びたい)」であるなら、今ある世界のすべてを描くのに「過剰」なものなどひとつもない。むしろネガティブな現実や解決の見えない問題こそ精一杯の努力で伝えていく必要があるだろう。スウェーデンの児童文化ポリシーにあるように「全てを取り上げる」「あるがままの人生を見せる」努力である。
 全て見せればいいと考えているわけではない。子ども達は大人を介してしか体験できないし、得たものを咀嚼するのも大人が作っている社会の限界の中であるのだから、「大人という環境が許容できないものを子どもに許容させるなどということは出来ない」と思う。
 結局は「子どもにどうか」の問題ではなく、「大人がどうか」の問題なのだと思う。「どうあるべき」ではなく「どう考えるか」を大人が問われていると思うのだが。
-- 事務局日記 - 09:49 - comments(0) - trackbacks(0)
事務局日記
 機関紙《輪》7月号より

「ものすごくまつり」が終わりました。今年は「一日思いっきり遊ぼう」ということで新しい遊びも取り入れました。
 実行委員が少なくてちょっと寂しかったですが、参加メンバーはかなり盛り上がりました。当日ももちろん楽しいですが、その日に向けて話を詰めていく作業も好きです。色々な人と一緒に話していると思わぬ展開になるのが面白いし、なんでもできちゃいそうな気分になります。
 実際たいていのことは皆が知恵を出し合って実現できちゃいます。
 「やってみなくちゃわからない。面白そうだからやってみよう」という雰囲気になるとワクワクしてしまいます。昼休みを使ってやった「ボディペインティング」楽しそうでしたねえ。思った以上にきれいな出来栄えで驚きました。2月の40周年パーティーで壁に飾りたいと思っています。

 やりたいことが思いっきりやれるって気持ちがいいですね。そんな場が年に一度じゃなく、もっとあったらいいのになあと思います。
 「まつり」のように大がかりじゃなくても、やりたいと思ったことがやれる環境であったらいいのにと思います。特に子どもには・・・・
 親子キャンプ、子どもキャンプともに活動が始まっています。皆で集まってワイワイ話し合いながら楽しい場にしていきましょう!いろいろな体験ができると思います。思わぬことがおこったりしますから!その時にどうするか?これが醍醐味でしょうか
-- 事務局日記 - 11:20 - comments(0) - trackbacks(0)
事務局日記
 機関紙《輪》6月号より

「通り魔殺人」「ストーカー殺人」「連続放火」・・・間違いなく「人心」が乱れていると思う。 
 「善悪」について「モラル」について、子どもたちにどう語るべきか?ますます難しい時代になってきたと思う。

 ドストエフスキーの「罪と罰」の事を、作家の柳美里が語っていたのを思い出す。少年Aの事件から少年の凶悪犯罪が世間をにぎわせた頃だ。
 「人はなぜ人を殺してはいけないのか〜大人がちゃんと自分の考えをのべるべきだ。ドストエフスキーは「罪と罰」でしっかり語っている。」その後、柳美里は「ゴールドラッシュ」を書き、「人を殺すと人は壊れるから、人は人を殺してはいけない」と語った。
 「罪と罰」には、人として語るべきものが語られていると思う。
 語るべきものには、芸術を通してしか語れないことが多くある。楽しませるための「娯楽」でなく、自分の頭で考えるために、未来を切り開くために「芸術」なのだと思う。

 神奈川近代文学館の「井上ひさし展」に行ってきた。
 井上さんは、未来を切り開くために過去にこだわる。長い時間をかけて作られたものを簡単に捨ててはならないと言っている。変化の早い時代に、重要なことだと実感している。
 生命というものが鎖のようにつながっていくものなら、自分の人生は過去から未来へのつなぎなのだと思う。前人から子どもたちへつなぐことが人生の仕事。人類が営々と積み上げてきたものを丁寧にバトンタッチすることが「文化」なのだと思う。

 「自然を大切になさい、それは子どもたちからの預かり物なのだから」というアフリカのことわざを思い出した。「自然」にはいろんな言葉が当てはまる。「歴史」「文化」「伝統」「子ども劇場」・・・。
 きたく子ども劇場は、もうすぐ40周年を迎える。
-- 事務局日記 - 18:16 - comments(0) - trackbacks(0)
事務局日記
 機関紙《輪》5月号より

4月21日に「子どもの本のつどい In kitaku」という、中央図書館主催で区民の会子ども部が企画運営する催し物がありました。きたく子ども劇場かたり隊も参加しています。
 今年は10周年ということで、おはなし会の他に各グループが「工作」をすることになりました。
 そこでかたり隊は「11ぴきのねこ」をペープサートにして遊んでみようということにしました。出版社に問い合わせたところ、いくつかの条件がありましたが許可を頂きました。
 シリーズの中のどの作品にするか決めて、制作にかかりました。かたり隊のスタッフ・勉強生・三役に声をかけ一緒にやってくれる人を募集したところ14人が名乗りを上げてくれました。
 何しろ初めてのことなので、一回目の集まりの時には皆で話し合っても今一つぴんとこない状態で、正直不安がよぎりました。それでも、とりあえず、大道具、小道具を分担して作ってくることになりました。
 それを持ち寄った二回目、驚きました。何をやるべきか、皆がしっかり把握していたのです。そこから色々な作業の早いこと。作りながら皆でああでもないこうでもないと工夫を重ね、かなり完成度の高いものになったと思います。
 当日までに集まったのは制作・練習合わせてたったの四回。見る見るうちに作り上げました。
 小学生二人、中学生1人の参加もあり、演じ手にも加わってくれました。子どもの声って本当にいいです。7~8分の作品ですが、幅のある楽しいものになったと思います。
 当日は、まず私たちの「11ぴきのねこ」を観てもらいました。それから、参加者にねこを一匹ずつ作ってもらって、自分の作ったねこを使って演じてもらいました。
 短くまとめたストーリーに沿ってやってもらいましたが、皆のりのりで楽しそうでした。予期せぬ出来事があったりもしましたが、じゃあどうするかをすぐに工夫できる集団だなあとつくづく思いました。
 当日、子ども劇場の人が何人か遊びに来てくれました。それが、とても嬉しく有難かったです。

 それぞれが自主的に動く集団であるというのは素晴らしいですね。その状況の中で自分は何をやるか、自分で決めて動ける場は楽しいです。
 子ども劇場、活動期に入っていろいろな事が同時進行しています。それぞれが自主的に関われる場であったら楽しいことがたくさんできますね、きっと。
-- 事務局日記 - 10:36 - comments(0) - trackbacks(0)
事務局日記
機関紙《輪》4月号より

 <2012きたく子ども劇場賞>が発表されました。
 作品賞は「東京裁判」(8月中高生例会)。46%と2位以下を大きく引き離しての受賞だが、観た人が少ないのが残念だ。
 個人賞は「山口とも」さん(出演者賞)と「野木萌葱」さん(スタッフ賞)。
 今年新たに<KIDS大賞>として子ども(4才〜小学生)が選んだ作品に「ルドルフとイッパイアッテナ」が選ばれた。こちらは上位3位が僅差だった。

 受賞には至らなかったが、それぞれの投票をじっくり見ているとなかなか面白い。ぜひみんなで語り合って欲しいと思います。

 「ナシャ・クラサ」が読売演劇大賞【最優秀作品賞】に、「文学座アトリエの会」が【芸術栄誉賞】に、同じく「ナシャ・クラサ」の美術の島次郎さんが【最優秀スタッフ賞】に選ばれた。
 「最高の舞台芸術と観客が、最高の空間・コンディションで出会うことを実現する(企画方針より)」きたく子ども劇場としては、その言葉が本当であることを立証しているようでうれしい限りです。

 「東京裁判」の結果、戦犯となった東条英機らが処刑された「巣鴨プリズン」は、今のサンシャイン60にあった。
 隣の公園の片隅にひっそりとその石碑がある。その表には「永久平和を願って」とだけ書かれていて、ここで処刑されたことは裏にまわってじっくり見ないとわからない。
 こんなに我々にとって重要な出来事を、なぜもっと明らかにしないのか。「東京裁判」や「戦争責任」についての答えは色々あるにしろ、重要な出来事であることは明らかだ。

 先日みた「カウラの班長会議」(燐光郡)はオーストラリアの連合軍捕虜収容所で実際に起きた日本兵545名による史上最大の脱走事件を扱った芝居だった。
 この史実もオーストラリアでは誰もが知る事実だが、日本ではあまり知られていない。

 東日本大震災にしろ、原発事故にしろ「無かったかのような事にする」体質を変えない限り日本の未来はないと、「ナシャ・クラサ」を振返ってあらためて思う。
-- 事務局日記 - 15:29 - comments(0) - trackbacks(0)
事務局日記
機関紙《輪》3月号より

 来年度40周年になります。
 20周年・30周年と周年の年を思い出します。20周年は祝賀パーティーがメインだった様に思います。
 その頃副運営委員長だった私はその日に向けてなんだか無我夢中で文字通り髪振り乱して忙しい日々を過ごしていました。それはそれで楽しかったのですが、一部の人たちのお祝いで終わった気がします。(そのころ会員も多かったので(1400人ちょっとでした)なかなか全員というのは難しかったかな?!)
 30周年は「会員皆でお祝いする一年にしたいね!」ということで全体例会の「マジックシアター」・子どもまつりに30にちなんだ遊びを考えたり、全例会で「お写真どころ」を設けて写真をとったり、サークルのマークを作ってもらって記念誌に載せたりと、一年間30周年の年として楽しみました。
 そうそう、総会に“30年前の私”として運営委員が写真を持ち寄ったら、当時4才だった人からその年お母さんになりました、という人までいて、本当に年齢層の厚さに驚きましたし、なんて素敵な会だろうと思いました。この幅の広さが子ども劇場の強みだと思います。子どもだけでなく大人も含めて異年齢でいるということをもっと誇りにしてもいいですよね。
 最近は3世代で入会している人も増えてきました。40年続いているということの凄さを感じます。

 先日記念誌を見ていたら、私は20周年の記念誌に“子どもたちが子どもらしく生きていける社会になるように手をつなぎあっていきたいですね。できるだけ大きな輪ができますように!”と書いていました。
 その思いは今も一緒です。しがらみに縛られるようなつながりではなく、でもつながっているろいう実感が持てるようなそんな場であったら子どもも大人も自由にのびやかに生きていけるような気がします。いろいろな人がいて、違いを当たり前のこととして思いあえるゆるやかな大きな輪ができたら素敵です。

“どんな40周年にするか”実行委員会で話し合っていきます。是非ご参加ください。お待ちしています
-- 事務局日記 - 12:28 - comments(0) - trackbacks(0)
事務局日記
 機関紙《輪》2月号より

昨今の「体罰」をめぐる発言に疑問を感じる。
 第一に「体罰はあっていい」とか、「必要悪である」といった発言。冗談じゃない。「体罰」はいけないに決まっている。
 「仕事でミスをしたサラリーマンが鞭打ちの罰を受ける」みたいなことがあったら誰だって怒るだろう。あたりまえ、人権の基礎の基礎だ。それが「子ども」相手だとなぜ揺らぐのか?「教育」という名のもとではなぜ容認されるのか?

 もう一つは「教師を総入れ替えする」「集団責任」とか「ルールを守れない教師はクビだ」とかいう流れもおかしい。これまた教師を強権的に支配する発想だ。
 「支配された人間は支配したがる」「暴力で育った人間は暴力を肯定する」これは<人権侵害の連鎖>だ。今学校にある問題はここだと思う。

 教師も不完全な人間である以上、本気で子ども達と向かい合う時「キレ」たり、暴力をふるってしまうこともありうることだと思う。しかしそれは恥ずべき「失敗」なのだ。
 強者による弱者への暴力ほど卑怯なことはない。教師も失敗しながら成長する権利がある。親も同じ。
 「暴力の否定」と「人間的衝突」、この2つのことは別の問題で、ごっちゃにしてはいけないと思う。

 暴力による支配は、技術を合理的に向上させることはあっても、人間の尊厳を育てることは無い。命令に従順に従う「駒」は育てても、未来を創造する「人間」を育てることはない。
 「体罰」や「いじめ」といった学校における人権侵害。「虐待」や「DV」といった過程における人権侵害。それらのモンダイの根源がこの「人権意識の低さ」にあるのだと思えてならない。
-- 事務局日記 - 10:44 - comments(0) - trackbacks(0)

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